昭和40年代、八郎潟が世紀の大干拓事業によって、その雄大な姿を変える以前、人々が八郎潟の恵みを受けて生活していた頃の明治初期。国民的歌手、故坂本九さんの祖父、坂本金吉さんが茨城県霞ケ浦から浜口村(現三種町)芦崎に移り住み、うたせ舟をを使った漁法を伝えたとされています。現在ではうたせ舟は姿を消してしまいましたが、わかさぎや白魚、鮒や海老など、八郎湖で獲れる魚類は昔と変わりません。
当店は、その芦崎地区に昭和8年に創業し、以来三代にわたり地元で獲れる新鮮な材料を使用し佃煮を作り続けてまいりました。雄大な八郎潟の自然に育まれて、間もなく創業90年を迎えようとしております。
これからも八郎潟の自然と、お世話になった皆様に感謝しながら、日本の伝統から生まれた自然食である佃煮づくりに一層精進して参ります。
当店は、その芦崎地区に昭和8年に創業し、以来三代にわたり地元で獲れる新鮮な材料を使用し佃煮を作り続けてまいりました。雄大な八郎潟の自然に育まれて、間もなく創業90年を迎えようとしております。
これからも八郎潟の自然と、お世話になった皆様に感謝しながら、日本の伝統から生まれた自然食である佃煮づくりに一層精進して参ります。

──素材の風味を損なわない
昔ながらの製法から生み出される
伝統の味をご賞味下さい──
昔ながらの製法から生み出される
伝統の味をご賞味下さい──



八郎潟が干拓事業によって埋め立てられ半世紀が過ぎました。
干拓事業によって残存湖である八郎湖や承水路が残りましたが、現在でも地元の漁師さんが様々な漁法で魚を獲っています。八郎湖といえば わかさぎ です。
例えば、わかさぎの佃煮。昔はレンガ積みの竈(かまど)に鉄釜を置き燃料は薪。獲れたてのわかさぎに醤油、ザラメ砂糖、水飴が原材料。令和の時代、竈(かまど)や燃料は変わりましたが、3つの原材料は今も変わりません。恐らく世紀を超えてわかさぎの佃煮のつくり方は変わっていないのではないでしょうか。素材の風味を活かした昔ながらの製法から生み出される佃煮を一度お試しいただければ幸いです。
干拓事業によって残存湖である八郎湖や承水路が残りましたが、現在でも地元の漁師さんが様々な漁法で魚を獲っています。八郎湖といえば わかさぎ です。
例えば、わかさぎの佃煮。昔はレンガ積みの竈(かまど)に鉄釜を置き燃料は薪。獲れたてのわかさぎに醤油、ザラメ砂糖、水飴が原材料。令和の時代、竈(かまど)や燃料は変わりましたが、3つの原材料は今も変わりません。恐らく世紀を超えてわかさぎの佃煮のつくり方は変わっていないのではないでしょうか。素材の風味を活かした昔ながらの製法から生み出される佃煮を一度お試しいただければ幸いです。

お店の紹介

社名 | 有限会社 清水佃煮商店 |
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代表取締役 | 清水 正紀 |
所在地 | 〒018-2401 秋田県山本郡三種町鵜川字西家の下34-6 |
連絡先 | TEL0185-85-3770 FAX0185-85-2236 |
会社沿革
昭和8年 | 初代 清水賢蔵が、秋田県 旧浜口村(現・三種町)芦崎にて佃煮製造を開始 |
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昭和34年 | 二代目 清水正幸が事業を継承 |
昭和52年 | 現在の三種町鵜川に新社屋、店舗、工場を移転 |
平成5年 | 法人化に伴い、有限会社清水佃煮商店を設立 |
平成7年 | 三代目 清水正紀 代表取締役に就任 |